2008年11月21日

篤姫、上京時に泊まった宿? 岡山・矢掛本陣に記録

ドラマで人気を博す徳川13代将軍正室の天璋院篤姫(てんしょういん・あつひめ)が故郷の鹿児島から上京する際、山陽道の宿場だった岡山県矢掛町の矢掛本陣(国指定重要文化財)に宿泊したことを示すとみられる古文書が見つかった。NHKの大河ドラマでは海路で瀬戸内海を通過したと描かれたが、史実は陸路で山陽道を通ったとされ、それを裏付ける史料となりそうだ。関係者は「矢掛に多くの篤姫ファンが集まってくれれば」と期待を膨らませている。

 同町のやかげ文化センター古文書室長の渡辺和夫さん(75)が今月、矢掛本陣を代々運営していた石井家から県立博物館に寄託された古文書群の中から発見した。

 渡辺さんによると、本陣の宿泊記録である「宿方御休泊留(しゅくかたごきゅうはくどめ)」の1853(嘉永6)年9月部分に「中将様御娘也 薩州御姫君様 御登 御泊 御拝領銀三枚」と記され、50人余りの武士や女中が同泊したことが書かれていた。

 従来から存在を知られていた本陣周辺の宿の宿泊記録にも、同月の部分に「薩州御姫様御泊り」とあり、33軒に200人余りの家来が宿泊したことが記されている。

 「単に『薩摩の姫君』というだけでは、分家の別の姫様の可能性もあるが、『中将の娘』と明記している以上、藩主島津斉彬(なりあきら)の養女で、当時唯一の娘だった篤姫に間違いない」と渡辺さん。この年、斉彬の養女となった篤姫は、8月に鹿児島を出立(しゅったつ)し10月に江戸の薩摩藩邸に入っており、宿泊記録は時期的にも一致するという。

 渡辺さんが、篤姫宿泊の証拠を集中的に探し始めたのは2カ月ほど前から。町関係者が県立博物館学芸員から「篤姫の上京ルートはドラマの印象で海路と思われがちだが、研究者の著作では陸路が史実とされている」と教えられ、「篤姫の足跡が見つかれば町も盛り上がる。確かな宿泊記録が残っていないか」と相談を持ちかけられたのがきっかけ。